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内藤濯(ないとうあろう)

フランス文学者評論家[日本]

1977年 9月19日 死去享年95歳

内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977年9月19日)は、日本のフランス文学者、評論家、翻訳家、エッセイスト。
フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『Le Petit Prince』(直訳すると「小さな大公」)を初めて『星の王子さま』と訳したことや、1908年に雑誌『音楽界』の中で「印象主義の楽才」として日本に初めてクロード・ドビュッシーの作品を紹介したことで知られる。
生涯[編集] 熊本県熊本市に生まれる。
父・泰吉は軍医。
熊本市立慶徳小学校から福岡県立中学伝習館に進む。
同期に北原白秋がいた。
上京して開成中学校に転校。
在学中に文学に目覚め、和歌や新体詩に熱中。
1903年、卒業。
第一高等学校文科丙類では日本ユニテリアン協会に参加。
1907年、東京帝国大学文学部仏文学科に入学。
1910年、卒業。
フランス語教官として陸軍幼年学校に勤務。
のち第一高等学校に奉職中、文部省在外研究員となり、パリ留学。
1924年に帰国後、東京商科大学(現在の一橋大学)教授となる。
当時の教え子に伊藤整・葛川篤・佐倉潤吾・瀬沼茂樹・田中西二郎がいた。
1931年、フランス政府からレジオン・ドヌール・シュバリエ勲章を受ける。
1944年、商科大を定年退官。
戦後、昭和女子大学講師を務める。
1971年1月、歌会始の召人に選ばれ「鞍馬苔からみあひつつ庭つちに居つけりと見ゆ小さきわが家」が詠進される。
1972年、昭和女子大を退職。
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関連作品

内藤濯が亡くなってから、46年と311日が経過しました。(17113日)