今井信郎(いまいのぶお)
幕臣[日本]
(坂本龍馬暗殺の実行犯とされる)
1918年 6月25日 死去享年78歳
今井 信郎(いまい のぶお、天保12年10月2日(1841年12月2日) - 大正7年(1918年)6月25日)は、江戸時代末期(幕末)から明治初期の武士(幕臣)、佐幕活動家、警察官、教育者、農事指導者、キリスト教活動家、政治家。
略歴=
今井は江戸に育ち、安政5年(1858年)、18歳で直心影流剣術の榊原健吉道場に入門、免許取得後講武所の師範代の任に就いた。
慶応3年(1867年)5月、京都見廻組への入隊を拝命、同年11月15日に発生した近江屋事件に関わった。
戊辰戦争では衝鋒隊副隊長として各地を転戦し、箱館戦争まで戦った。
明治3年(1870年)2月、近江屋事件の件で嫌疑をかけられ、身柄を刑部省の伝馬町牢舎へ移され取り調べを受けた。
今井は、龍馬暗殺の詳細を証言、自分は見張り役として参加し手は出していないことを語った。
同年9月、禁固刑二ヶ年の判決を受け、静岡伝馬町で謹慎後、明治5年(1872年)1月に赦免された。
今井は静岡を生活の基盤にし、駿府城の跡地を入手、学校の経営を始めた。
農業実習から兵事[要曖昧さ回避]訓練にいたるまで広範に教授した。
しかし、新政府にかつての履歴を危惧され、学校は後に無償で兵営用地として明け渡された。
明治8年(1875年)、静岡県に出仕し、翌9年、静岡県の所轄下の八丈島へ赴任した。
八丈島で教壇に立つ職員に、自らの理想や理念を伝えた。
在島期間1年2ヶ月あまりだが、大賀郷小学校、樫立小学校が開設された。
『八丈島誌 ……
今井信郎が亡くなってから、106年と149日が経過しました。(38866日)