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曾我時致(そがときむね)

武士[日本]

(建久4年5月29日没)

(ユリウス暦) 1193年 6月29日 死去斬首享年20歳

 - ウィキペディアより引用

曾我 時致(そが ときむね)は、鎌倉時代初期の武士。
曾我兄弟の仇討ちで知られる。
曽我五郎、曽我時宗とも。
安元2年(1176年)、3歳の時、実父・河津祐泰が所領相続をめぐって揉めていた同族の工藤祐経に暗殺される。
その後、母が兄と自身を連れ相模国曾我荘(現神奈川県小田原市)の領主・曾我祐信に再嫁する。
建久元年(1190年)9月7日、北条時政を烏帽子親として元服、その偏諱を賜って時致と名乗ったとされ、その後は時政の庇護の下にあったという。
建久4年(1193年)富士の巻狩りが行われた際、兄・祐成と共に父の敵・工藤祐経を殺害した。
兄は仁田忠常に討たれたが、時致は将軍源頼朝を襲おうとし頼朝の館に押し入り、その宿所に侵入したが御所五郎丸によって捕らえられた。
翌日、頼朝の取調べを受けた際、仇討ちに至った心情を述べて頼朝は助命を考えたが、祐経の遺児・犬房丸の要望により処刑された。
その後、出家して律師と号していた時致らの末弟が兄たちに連座して鎌倉へ呼び出され甘縄で自害し、時致らの同腹の兄弟である原小次郎(北条本『吾妻鏡』や『曽我物語』では「京の小次郎」)がこの事件に連動して失脚した源範頼の縁座として処刑されている。

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