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曾我祐成(そがすけなり)

武士[日本]

(建久4年5月28日没)

(ユリウス暦) 1193年 6月28日 死去討死享年22歳

 - ウィキペディアより引用

曾我 祐成(そが すけなり)は、鎌倉時代初期の武士。
曾我兄弟の仇討ちで知られる。
安元2年(1176年)、祐成が5歳の時、実父・河津祐泰が所領相続をめぐって揉めていた同族の工藤祐経に暗殺された。
その後、母が自身と弟を連れ相模国曾我荘(現神奈川県小田原市)の領主・曾我祐信に再嫁した。
のち養父・祐信を烏帽子親に元服して祐成を名乗り、その後は北条時政の庇護の下にあったという。
建久4年(1193年)、富士の巻狩りが行われた際、弟・時致と共に父の敵・工藤祐経を殺害したが、仁田忠常に討たれた。
時致は御所五郎丸に取り押さえられ、工藤祐経の子・伊東祐時の要望で翌日に斬首された。
その後、祐成の妾である虎という名の大磯の遊女が召し出されて訊問されたが、無罪だったため放免され、箱根で祐成の供養を営み、祐成が最後に与えた葦毛の馬を捧げて出家を遂げ信濃善光寺に赴いた。
また、出家して律師と号していた祐成らの末弟が兄たちに連座して鎌倉へ呼び出され甘縄で自害し、祐成らの同腹の兄弟である原小次郎(北条本『吾妻鏡』や『曽我物語』では「京の小次郎」)がこの事件に連動して失脚した源範頼の縁座として処刑されている。
曾我十郎首塚(静岡県伊東市馬場町)

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