天田愚庵(あまだぐあん)
歌人、禅僧[日本]
1904年 1月17日 死去享年51歳
![天田愚庵 - ウィキペディアより引用](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/Amada_Guan.jpg/200px-Amada_Guan.jpg)
天田 愚庵(あまだ ぐあん、嘉永7年7月20日(1854年8月13日) - 明治37年(1904年)1月17日)は、禅僧で歌人。
平藩藩士の家に生まれた。
本名、天田五郎、1881年から1884年まで山本五郎(山本鉄眉)。
漢詩や和歌に優れ、俳人正岡子規と交流があった。
清水次郎長の養子。
次郎長の伝記『東海遊侠伝』を著した。
生涯[編集]
1854年(嘉永7年)、父・磐城平藩士・甘田平太夫、母で同藩医の娘・浪の5男として誕生。
幼名を久五郎。
兄弟は多かったが、いずれも夭折し久五郎15歳の時は長兄・善蔵、妹・延の2人だけであった。
1868年(明治元年)、戊辰戦争において磐城国も戦場となると、兄・善蔵が出陣し父は残る家族を連れて中山村に疎開するが、のち久五郎も戦場に赴いた。
平城は間もなく陥落し、久五郎は仙台へ落ち延びるが、父母らが行方不明となる。
平に帰藩し謹慎を命ぜられ、翌年その命を解かれ、藩校・佑賢堂に入校。
猪瀬伝一、伊藤祐之らの知友を得る。
1871年(明治4年)秋、伊藤と共に上京、神田駿河台のニコライ神学校に入る。
1872年(明治5年)に縁あって正院の役職にあった小池詳敬の食客となり、その紹介により山岡鉄舟の門下となり、また落合直亮について国学を学ぶ。
1874年(明治7年)、小池に伴われ東海道・中国・九州を歴訪するが、長崎滞在中に佐賀の乱が起こり、その一味と誤認されて牢に繋がる。
獄中で歌人の丸山作楽と出遭い、短歌と国学を学ぶ。
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天田愚庵が亡くなってから、120年と192日が経過しました。(44022日)