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鳥海青児

画家[日本]

1972年 6月11日 死去享年70歳

鳥海青児 - ウィキペディアより引用

鳥海 青児(ちょうかい せいじ、1902年3月4日 - 1972年6月11日)は、日本の洋画家。
神奈川県中郡須馬村(現在の平塚市)生まれ。
本名は正夫。
茶色を基調とした渋い色調の絵具を多用し、土壁のような絵肌の単純化された構図の作品を数多く制作した。
経歴= 1902年(明治35年)3月4日、神奈川県中郡須馬村須賀1226番地に、父、鳥海力蔵、母あぐりの次男として生まれる。
1916年(大正5年) 藤嶺中学校(現:藤嶺学園藤沢高等学校)に編入学する。
1917年(大正6年) この頃から油彩画を描きはじめる。
1921年(大正10年) 3月、藤嶺中学を卒業。
翌月、関西大学予科に入学。
1922年(大正11年) この頃から筆名の青児を名乗る。
1924年(大正13年) 3月、第2回春陽会展に応募した『洋女を配する図』、『平塚風景』が初入選。
以後1930年(昭和5年)まで連続入選を果たす。
また、この頃三岸好太郎の知遇を得る。
1927年(昭和2年) 関西大学経済学部を卒業。
1928年(昭和3年) 三岸好太郎、三岸節子、森田勝と札幌市に滞在。
『水無き川』を制作。
1929年(昭和4年) 『うづら』を制作。
1930年(昭和5年) 5月、フランスのパリに渡欧。
9月にアルジェリアを訪問。
翌年パリに戻る。
1931年(昭和6年) パリにて、滞欧していた海老原喜之助、野口弥太郎、森田勝と交遊する。
  1932年(昭和7年) アルジェリアからモロッコへ旅行。
ゴヤの絵画を見るためにスペインのマド ……

鳥海青児が亡くなってから、52年と163日が経過しました。(19156日)

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