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張学良 氏(ちょうがくりょう)

軍人、張作霖の息子[中国]

2001年 10月15日 死去享年101歳

張学良 - ウィキペディアより引用

張 学良(ちょう がくりょう、1901年6月3日 - 2001年10月14日)は、中華民国の軍人・政治家。
張作霖の長男。
字は漢卿。
軍人としての階級は国民革命軍一級上将。
生涯 青年時代 1901年、張学良は当時満州地方(現地名:遼寧省台安県)の馬賊であった張作霖の長男として出生。
母親(趙春桂)は不明な点が多く、張学良11歳の時に死去とされる。
父・作霖に可愛がられ、大勢の家庭教師が付き高い教養を身につけた。
16歳からは英会話も習得し、後に中国の軍閥の頭領としてはただ一人の英語の使い手となる(リットン調査団の一員であるドイツ人ハインリヒ・シュネーによると、「英語は少し話せるが、複雑な問題は交渉できなかったので必ず通訳を付けていた」)。
16歳の時に最初の結婚をさせられ、17歳の時に第一子が誕生、19歳の時には、父によって陸軍少将に任じられた。
1919年3月、父の創設した軍幹部養成学校である東三省講武学堂の一期生として入学。
若い頃から記憶力が良く、300名以上の学生の姓名、出身地、字を暗記していた。

ちょうがくりょうZhangXue-liang [生]光緒27(1901).6.3.遼寧,海城[没]2001.10.14.ホノルル中国,東北の軍閥。奉天派の領袖張作霖の長男。1919年東三省武備学堂を卒業し,20年の安直戦争に1旅団を率いて参加。28年6月張作霖が日本軍により爆殺されると,後継者として東北の実権を掌握,蒋介石の国民政府と提携するにいたり,12月29日東北全土で青天白日旗を掲揚した(易幟)。31年の満州事変以後,国府の対日方針に従って無抵抗主義をとり,東北を日本軍の占領にゆだねた。紅軍の長征に際して西北剿匪副司令に任命されたが,ひそかに紅軍と停戦協定を結び,36年12月紅軍討伐を督励するため西安に到着した蒋介石を逮捕監禁し,内戦停止,国府改組,政治犯釈放など8項目の主張を全国に通電した(西安事件)。周恩来らの調停で蒋介石は内戦停止,一致抗日を受入れて釈放されたが,張自身は官職を剥奪され,10年の禁錮刑に処せられた。49年蒋介石の台湾逃亡に伴い張も連行され,90年まで自宅軟禁状態にあった。94年名誉回復,同年ハワイに移住した。 (引用元 コトバンク)

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