北条幻庵(ほうじょうげんあん)
戦国武将[日本]
(天正17年11月1日没)
1589年 12月8日 死去

北条 幻庵(ほうじょう げんあん)は、戦国大名・後北条氏の一門衆。
法号・長綱(ちょうこう)のち宗哲(そうてつ)。
初代・北条早雲の末子、2代・北条氏綱の弟として生れる。
幼名・菊寿丸。
幼くして僧籍に入り、のち箱根権現社の別当となる。
早雲から箱根や久野の広大な所領を相続。
甥にあたる玉縄城主・北条為昌の死後、三浦衆と小机衆も統率した。
久野に屋敷を構え、後北条氏5代にわたって仕え、家中で大きな影響力を持っていた。
自身は長寿だったことで知られるが、跡継ぎ4人に先立たれた。
鞍作り・石台作りなどの技芸や和歌・連歌などの芸事に通じた。
後に箱根の金剛王院の衆僧の高師となり、権化の再来といわれたと三浦浄心『北条五代記』に伝わる。
生涯=
初代・早雲の時代=
永正年間に、戦国大名・後北条氏の初代・伊勢新九郎入道宗瑞(早雲庵宗瑞、北条早雲)の末子として生れる。
母は駿河の有力豪族であった葛山氏の娘。
幼い頃に僧籍に入り、箱根権現社の別当寺・金剛王院に入寺した。
箱根権現は関東の守護神として東国武士に畏敬されており、関東支配を狙う早雲が子息を送って箱根権現を抑える狙いがあったと見られる。
永正16年(1519年)4月28日、父・早雲から死去の直前に4,400貫の所領を与えられた(『箱根神社文書』)。
この頃の名乗りは菊寿丸。
2代・氏綱と3代・氏康の時代=
大永3年(1523年)に兄・氏綱が父・早雲の遺志を継いで ……
北条幻庵が亡くなってから、435年と306日が経過しました。(159190日)