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柳川次郎 氏(やながわじろう)

ヤクザ、三代目山口組若中、 柳川組初代組長[韓国]

(本名・梁元鍚)

1991年 12月12日 死去享年69歳

柳川 次郎(やながわ じろう、本名:梁 元鍚(ヤン・ウォンソク)、1923年 - 1991年12月12日)は、在日韓国人のヤクザ。
三代目山口組若中、 柳川組初代組長。
通称:マテンの黒シャツ。
日本IBF初代コミッショナー。
元極真会館最高相談役。
生い立ち= 釜山生まれ。
1930年に家族と来日し大阪府に居住、ここで後に柳川組二代目となる同胞の在日韓国人谷川康太郎(本名:康 東華(カン ドンファ))と知り合うことになる。
1941年に太平洋戦争が開戦すると半ば強制労働に駆り出されるような形で家族と共に大分県の軍需工場近くに移住するが、1945年の終戦で一家は帰国をすることになる。
だが、出国直前に喧嘩に巻き込まれ柳川は逮捕、このため一人日本に取り残されることになる。
戦後の混乱期から鬼頭組との戦闘= 身寄りがなくなった柳川は大阪に赴くと旧知の谷川と合流、愚連隊に身を投じた。
1946年に闇市でトラブルを起こし強盗罪で服役、1952年に出所すると大分県中津市のテキ屋吉森一家の客分となる。
1953年頃に石井一郎・石井組組長(後の三代目山口組初代石井組組長)と共に、大長健一・大長組組長の舎弟となった。
当時、吉森一家は石井からカスリを取っていたが、大長が「自分の舎弟・石井からカスリを取ることは許さん」と吉森一家に通告してきたことから、大長組と吉森一家が激しく対立。
板ばさみとなった柳川は断指して吉森一家に詫びを入れ、これが決め手となって ……

柳川次郎さんが亡くなってから、32年と345日が経ちました。(12033日)