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山名文夫 氏(やまなあやお)

グラフィックデザイナー[日本]

1980年 1月14日 死去享年84歳

山名文夫 - ウィキペディアより引用

山名 文夫(やまな あやお、1897年7月17日 - 1980年1月14日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナーである。
日本のグラフィックデザインの黎明期における先駆者の一人で、大正期から昭和初期にかけてのモダンなアール・デコスタイルで知られ、資生堂の現在にもつづくキーデザイン、紀ノ国屋のロゴ、新潮文庫の葡萄マークのデザインで知られる。
経歴= 1897年(明治30年)7月17日、広島県広島市に生まれる。
山名に影響を与えたビアズリー 少年期から竹久夢二や北野恒富、オーブリー・ビアズリーに憧れ、模写に没頭する。
旧制・和歌山県立和歌山中学校(現和歌山県立桐蔭中学校・高等学校)後、1916年(大正5年)、大阪へ出て、赤松麟作が主宰する「赤松麟作洋画研究所」第2期生となり、絵画を学ぶ。
同研究所の第1期生には佐伯祐三がいた。
20歳になる1917年(大正6年)、同人誌『Chocolate』(チョコレート)に加わり、夢二や北野、ビアズリーらの絵に影響を受けた作品や詩を発表した。
1923年(大正12年)、「クラブ化粧品」で知られる大阪の化粧品会社・中山太陽堂が併設する出版社「プラトン社」に入社し、図案家として雑誌『女性』や『苦楽』の表紙装丁やカットなどに腕をふるう。
同期入社のデザイナーには山六郎、編集者には、小山内薫の推薦で入社し、のちに小説家となる直木三十五(当時「直木三十二」)、川口松太郎の2人がいた。
1924年(大正13年)、第一回「大阪 ……

山名文夫が亡くなってから、44年と312日が経過しました。(16383日)

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