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福来友吉(ふくらいともきち)

心理学者[日本]

1952年 3月13日 死去享年84歳

福来友吉 - ウィキペディアより引用

福来 友吉(福來 友吉、ふくらい ともきち、明治2年11月3日(1869年12月5日) - 1952年(昭和27年)3月13日)は、日本の心理学者、超心理学者。
東京帝国大学助教授、高野山大学教授。
文学博士(1906年)(学位論文「催眠術の心理学的研究」)。
念写の発見者とされる。
概要= 岐阜県高山市の商家に生まれ、見習い奉公に出されたが商人になることを嫌い、学問に志を立てて猛烈に勉強し、岐阜県斐太尋常中学(現・岐阜県立斐太高等学校)から優秀な成績で旧制第二高等学校に進学した。
実家が事業に失敗し学費に困ったが、仙台の資産家・町田真秀が援助し、1899年(明治32年)東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。
さらに同大学院で変態心理学(催眠心理学)を研究し、1906年(明治39年)、「催眠術の心理学的研究」で文学博士の学位を授与された。
1908年(明治41年)、東京帝国大学助教授。
御船千鶴子での実験= 御船千鶴子(1910年) →詳細は「御船千鶴子」を参照 1910年(明治43年)、かつての教え子で熊本工業学校の高橋正熊は、熊本県に住む御船千鶴子が優れた透視能力を発揮して「千里眼」と言われているという話を聞いて簡単な実験を行ない、その結果を福来に報告していた。
当初福来は教え子の研究成果を横取りするつもりもなく気に留めなかったが、旧制熊本県立中学済々黌(現・熊本県立済々黌高等学校)校長の井芹経平がレベルの高い実験を勧めたために自らも実験することになった ……

福来友吉が亡くなってから、72年と253日が経過しました。(26551日)

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