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楫取魚彦(かとりなひこ)

国学者歌人[日本]

(天明2年3月23日没)

1782年 5月5日 死去享年60歳

楫取魚彦 - ウィキペディアより引用

楫取 魚彦(かとり なひこ、享保8年3月2日(1723年4月6日) - 天明2年3月23日(1782年5月5日))は、江戸時代中期の国学者・歌人・画家。
本名は伊能景良。
通称は茂左衛門。
号は青藍・茅生庵(ちぶあん)。
同郷で遠縁の親族が測量家の伊能忠敬(伊能三郎右衛門家)である。
略歴= 楫取魚彦旧宅跡現・伊能忠敬記念館 享保8年(1723年)、下総国香取郡佐原(現・千葉県香取市)の名家である伊能茂左衛門家に生まれる。
父は伊能景栄(かげまさ)。
はじめは俳諧をたしなみ、建部綾足の門に入って片歌をつくり、あわせて画を学んだ。
その後、賀茂真淵に師事して古学を修め、県門の四天王と称揚される。
弟子として窪俊満がいる。
明和2年(1765年)、家を伊能景序に譲って江戸に出て浜町に卜居し、家宅を「茅生庵」と号した。
明和6年(1769年)に真淵が没した後、魚彦に学ぶ者は多く、遂には200人あまりになったという。
天明2年(1782年)に死去。
享年60。
下総香取郡牧野村の観満寺に葬る。
没後= 大正13年(1924年)、正五位を追贈された。
伊能茂左衛門家は景序、景海と引き継がれ、曾孫の景晴(節軒・徳輝)は明治初期に小野川改修工事を行ったことで知られた。
業績= 魚彦の国語学史上における功績に『古言梯(こげんてい)』がある。
これは契沖の『和字正濫鈔』に典拠が少ないことを問題視し、『古事記』『日本書紀』『万葉集』などの古典のみならず、新資料と ……

楫取魚彦が亡くなってから、242年と198日が経過しました。(88589日)