荒木田久老(あらきだひさおゆ)
国学者、伊勢神宮内宮禰宜[日本]
(文化元年8月14日没)
1804年 9月17日 死去享年59歳
荒木田 久老(あらきだ ひさおゆ、延享3年11月21日(1747年1月1日) - 文化元年8月14日(1804年9月17日))は、江戸時代中期から後期にかけての伊勢神宮祠官、国学者。
初名は正恭、後に正董と名乗った。
通称は弥三郎、主税(ちから)、斎(いつき)など。
号を五十槻と称し、家号を五十槻園(いつきのその)と称した。
生涯[編集]
伊勢国度会郡に生まれる。
実父は外宮権禰宜橋村正身(はしむらまさのぶ)で、自身は二男にあたる。
明和2年(1765年)江戸で賀茂真淵に師事し、国学や和歌などを学び、特に『万葉集』を研究した。
『万葉考槻之落葉』『祝詞考追考』『日本紀歌之解』『続日本紀歌之解』『竹取翁歌解』などの研究書を著している。
1775年(安永4年)内宮権禰宜の荒木田(宇治)久世の養子となり、荒木田久老と名乗る。
なお、晩年は伊勢国の県門として本居宣長の学派と対立した。
脚注[編集]
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^ a b c d e f g h i j k l 岡本勝, 雲英末雄編『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、233頁。
^ 『江戸時代人物控1000』山本博文監修、小学館、2007年、18-19頁。
関連作品
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品名 万葉考槻乃落葉
販売者 古今書院発売日 新品価格 ¥24,000中古商品 ¥24,000より
荒木田久老が亡くなってから、219年と312日が経過しました。(80302日)