芝山みよか 氏(しばやまみよか)
美容家[日本]
2009年 6月11日 死去老衰享年103歳
芝山 みよか(しばやま みよか、1907年〈明治40年〉8月12日 - 2009年〈平成21年〉6月11日)は、日本の美容師、美容家。
神奈川県横浜市山下町出身。
出生名は芝山 見与加[* 1]、結婚後の本名は小守谷 見与加(こもりや みよか)。
日本で初めてエステティックサロンを開業した人物とされ、長年にわたる東京都の美容室の経営などで、美顔術やエステティックの普及に努めた。
「エステの母」とも呼ばれ、日本美容界の草分け的存在ともいわれる。
日本エステティック協会(旧名は日本エステシャン協会)の初代会長。
フェリス和英女学校(後のフェリス女学院中学校・高等学校)卒業[* 2]。
経歴=
少女期=
芝山兼太郎の営む美容院。
中央が少女期の芝山みよか、向かって右が兼太郎
横浜の山下町で、日本の美顔術の始祖と呼ばれる芝山兼太郎のもとに誕生した。
兼太郎は理容所「日之出軒」と美容所を経営しており、みよかは父の店を遊び場代わりとして育った。
美容所は国外の来客のみで、当時のフランス大使夫妻も訪れ、みよかはマニキュアの仕方を教わるなどして可愛がられることも多かった。
このような環境において、美容については特別な勉強をすることなく、子供ながら見様見真似で自然に技術を身につけていた。
元街小学校を卒業後、「日之出軒」の顧客であったユージーン・ブースの推薦を受けて、ブースが校長を務めるフェリス和英女学校へ進学した。
父の兼太郎 ……
芝山みよかさんが亡くなってから、15年と163日が経ちました。(5642日)