古河市兵衛(ふるかわいちべえ)
実業家、古河財閥 創業者[日本]
1903年 4月5日 死去享年72歳
古河 市兵衛(ふるかわ いちべえ、天保3年3月16日〈1832年4月16日〉 - 明治36年〈1903年〉4月5日)は、明治期の日本の実業家で、古河財閥の創業者。
京都出身。
幼名は木村巳之助、幸助。
陸奥宗光の二男の潤吉を養子とした。
従五位。
経歴=
生家の木村氏は京都岡崎で代々庄屋を務めたが、父の代には没落しており、巳之助は幼少の頃から豆腐を売り歩く貧乏暮らしで苦労を重ねた。
継母が病に倒れた際、盛岡南部藩で高利貸しを営んでいた母方の叔父が見舞いに訪れ、その際、その親族のもとで修行をすることを希望し、嘉永2年(1849年)、盛岡に向かう。
盛岡では叔父のもとで貸金の取立てを手伝う。
やがて南部藩御用商人の鴻池屋伊助店(草間直方が旧名時代に起こした店)に勤めるが、まもなく倒産する。
安政4年(1857年)、叔父の口利きで京都小野組の番頭だった古河太郎左衛門の養子となり、翌年には古河市兵衛と改名した。
その後、養父と共に生糸の買い付けを行っていたが、養父に才能を認められ、順調に小野組内の地位を高めていく。
明治維新期の時流にも乗り、東北地方の生糸を横浜に送り巨利を挙げるなどの成功を収めるが、明治新政府の公金取り扱い業務の政策変更の結果、小野組は壊滅的な打撃を蒙り、市兵衛は再び挫折を味わうことになる。
しかしその際、政府からの引き上げ金の減額などを頼みに陸奥宗光のもとへ談判に行き、これが縁でのちに宗光の次男を養子に貰 ……
古河市兵衛が亡くなってから、121年と231日が経過しました。(44426日)