原泉 氏(はらせん)
女優[日本]
(旧芸名・原泉子)
1989年 5月21日 死去享年85歳
原 泉(はら いずみ、1905年2月11日 - 1989年5月21日)は、島根県松江市出身の日本の女優。
旧芸名は原 泉子(はら せんこ)、本名は中野 政野。
夫はプロレタリア作家・文学者の中野重治。
芸名の「原泉」は「はら せん」の読みで通称される。
来歴・人物=
10歳の時に母と死別し、継母とうまくいかず、17歳で上京。
初めは書の才能を生かして書道家の岡本高蔭の弟子となったが、在京している妹の学費を稼ぐために谷中[要曖昧さ回避]のモデル事務所に所属し、主に彫刻家のモデルになる。
端正な容姿や佇まい、面影が好まれ、平松豊彦、堀江尚志などの彫刻家に採用される。
その後、プロレタリア演劇研究所に入所。
1928年、東京左翼劇場に合流して旗揚げメンバーとなる。
同志であり生涯の盟友でもあった中野重治と1930年に結婚。
一人娘の卯女をもうける。
1934年、新協劇団の創設に参加。
『夜明け前』や『火山灰地』などの舞台に出演。
当時は原泉子と名乗っており、かつて付き人をした花柳はるみに付けてもらったという。
1940年8月19日の新劇弾圧では治安維持法違反で村山知義や滝沢修らとともに逮捕された(同劇団は、その後、強制解散させられた)。
その数か月前には日本放送協会が実験放送として製作された日本初のテレビドラマ『夕餉前』に出演。
1946年、村山らの第2次新協劇団に参加するが、1950年に退団。
以降はフリーとなり、同年に原泉へ改名。
北 ……
原泉さんが亡くなってから、35年と184日が経ちました。(12968日)