河村黎吉(かわむられいきち)
俳優[日本]
1952年 12月22日 死去胃がん享年56歳
河村 黎吉(かわむら れいきち、1897年9月1日 (一説に6月16日) - 1952年12月22日)は、日本の俳優。
本名は河村石五郎(かわむら いしごろう)。
松竹で活躍した脇役俳優の一人であり、300本近い作品に出演した。
島津保次郎監督作品に常連出演し、江戸っ子役や三枚目役で知られた。
戦後に社長シリーズの前身である『三等重役』に社長役で出演したことでも有名。
略歴・人物=
1897年(明治30年)9月1日、東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)に生まれる。
神田の錦城商業学校予科を卒業後、13歳で中洲の真砂座で初舞台を踏む。
新派劇の無名劇団に参加して地方巡業で各地を転々とし、自ら小劇団を組織したこともあった。
本所寿座出演を最後に舞台生活を切り上げ、1921年(大正10年)5月に松竹蒲田撮影所に入社する。
初出演作は6月公開の賀古残夢監督『酒中日記』で、当初は仕出し程度だったが、特徴的な風貌と舞台で培われた演技力でたちまち頭角をあらわしていく。
1923年(大正12年)1月、柳さく子、梅村蓉子、奈良真養とともに準幹部に昇格。
同年9月1日に関東大震災が発生、その影響で蒲田撮影所は使用不可能となり、大半の所員と共に下加茂撮影所に移る。
牛原虚彦監督の『大地は怒る』『南の漁村』、池田義信監督の『暮るゝ嶺』などに準主役として出演し、翌1924年(大正13年)1月に幹部に昇格した。
同年に蒲田撮影所に復帰し、島津保次郎監督の『愚者なればこそ』等に ……
河村黎吉が亡くなってから、71年と334日が経過しました。(26267日)