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島津忠重(しまづただしげ)

海軍少将、公爵[日本]

(島津氏30代当主)

1968年 4月9日 死去享年83歳

島津忠重 - ウィキペディアより引用

島津 忠重(しまづ ただしげ、1886年(明治19年)10月20日 - 1968年(昭和43年)4月9日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。
島津氏第30代当主。
島津忠義の四男であるが、兄たちの早世によりその嫡男(跡取り)となる。
海軍少将正二位勲一等公爵。
神号は「島津忠重命」。
幼名は秀丸。
姉は邦彦王妃俔子で、香淳皇后の叔父にあたり、第125代天皇明仁の大叔父にあたる。
生涯= 仙巌園で生まれ、幼少時代を過ごし、島津家庭尋常小学校(忠重とその兄弟が通うための学校)に通う。
1898年(明治31年)2月1日、父・忠義の薨去により家督を相続し、公爵を襲爵する。
叔父の島津珍彦が後見人となる。
ほどなく鹿児島より上京し、学習院に編入学する。
また、英国人女性家庭教師エセル・ハワードに忠備ら4人の弟とともに教育を受ける。
1901年(明治34年)6月2日、東京芝区袖ヶ崎島津公爵邸において、贈正一位島津斉彬公祭典を主催する。
同年7月、全国第7番目の高等学校の鹿児島誘致を支援し、「造士館」の館号を受け継いだ「第七高等学校造士館」(七高)が開学(鹿児島大学の前身)。
1904年(明治37年)、海軍兵学校に入学する。
忠重は海に憧れがあったため、自らの希望で海軍に入ったことを随筆に書き残している。
1907年(明治40年)、海軍兵学校を卒業(35期)。
後輩に同族の越前島津氏(播磨家)29代・島津信夫(42期 大正2年・龍野中)がいた。
忠重は当時所属した第一艦 ……

島津忠重が亡くなってから、56年と226日が経過しました。(20680日)

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