ジョサイア・コンドルJosiah Conder
建築家[イギリス]
(お雇い外国人、「日本近代建築の父」)
1920年 6月21日 死去享年67歳
![ジョサイア・コンドル - ウィキペディアより引用](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b5/Josiah-Conder-Portrait-1.jpg/170px-Josiah-Conder-Portrait-1.jpg)
ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852年9月28日 - 1920年6月21日) は、イギリスの建築家。
明治政府によって通称「御雇外国人」として日本に招聘された。
明治10年に、工部大学校(現・東京大学工学部)の造家学(建築学)教師として来日して、西洋建築学を教えた。
そのかたわら、明治期の洋館の建築家としても活躍し、上野博物館や鹿鳴館、有栖川宮邸などを設計した。
辰野金吾はじめ創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。
明治23年に退官した後も民間で建築設計事務所を開設し、ニコライ堂や三菱1号館など数多くの建築物を設計した。
日本人女性を妻とし、日本画、日本舞踊、華道、落語といった日本文化の知識も深かった。
河鍋暁斎に師事して日本画を学び、与えられた号は暁英。
推定関連画像
ジョサイア・コンドルが亡くなってから、104年と36日が経過しました。(38022日)