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黒田正玄 氏(くろだしょうげん)

千家十職竹細工師第13代[日本]

2017年 7月24日 死去享年82歳

黒田 正玄(くろだ しょうげん)は千家十職の一つで、竹細工・柄杓師を務める家が代々襲名している名称。
柄杓の他、台子、香合、花入など竹を使う茶道具を製作し、千家に納めてきた家系。
当代は14代。
歴史= 初代正玄は、元々武士で丹羽長重に仕えていた。
しかし関ヶ原の戦いで丹羽氏は西軍に付き改易、浪人となったために剃髪して大津に移り住み、竹細工職人となった。
評判の竹細工師となった正玄は小堀政一(遠州)からの注文を受け、茶道界・江戸幕府とのつながりを作る。
以後明治維新に致るまで、歴代三千家・将軍の御用達柄杓師となる。
10代正玄は9代正玄の早世により急遽婿養子となった人物だが、家督相続が明治維新と重なり、庇護者である幕府が崩壊、茶道も衰退する中、家業の保持に苦心した。
その後を嗣いだ11代正玄も早世、12代正玄は周囲の援助を得ながら、戦中・戦後の困難な時期に家業を支えた。
系譜= 初代 正玄(天正6年(1578年) - 承応2年8月8日(1653年9月29日)) 字「七郎左衛門」。
越前国黒田荘生まれ。
成長して、当地の当主である丹羽長重に仕えるが、関ヶ原の合戦で長重が西軍につき改易、七郎左衛門も浪人となる。
この時に剃髪して「正玄」と号し、大津に移って竹細工の製造を始める。
豊臣秀吉に柄杓を納めて「天下一」と称されていた一阿彌という醒ヶ井の井戸守が、正玄の柄杓づくりの師匠であったといわれる。
その後竹細工が評判 ……

黒田正玄さんが亡くなってから、7年と120日が経ちました。(2677日)

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