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泉清子(いずみきよこ)

女優[日本]

1950年 8月26日 死去享年42歳

泉清子 - ウィキペディアより引用

泉 淸子(いずみ きよこ、1909年12月21日 - 1950年8月26日)は、日本の女優である。
新字体表記泉 清子、本名泉井 初子(いずい はつこ)。
サイレント映画の時代に、「ヴァンプ女優」として知られた。
人物・来歴= 1909年(明治42年)12月21日、大阪府大阪市(現在の同府同市天王寺区)に生まれる。
1924年(大正13年)4月、旧制小学校を卒業し、満15歳になった1925年(大正14年)、女優津守玉枝の内弟子になり、同年4月、帝国キネマ演芸小阪撮影所に入社した。
同年に公開された『雁金文七』(監督山下秀一)に主要な役柄に抜擢されて出演、映画界にデビューした。
1926年(大正15年)3月、同社の芦屋撮影所に移籍するが、家庭の事情で止むを得ず退社し、カフェー「ユニオン」を経営していた。
1928年(昭和3年)、牧野省三が主宰する京都のマキノ・プロダクションに入社する。
1929年(昭和4年)7月25日、牧野省三が亡くなり、同年9月に発表された、長男のマキノ正博を中心とした新体制において、俳優部にその名が掲載されている。
同社はその後、経営が悪化し、1931年(昭和6年)4月24日に公開された『京小唄柳さくら』(監督金森万象)が同社の最終作品になったが、泉は同作にも出演している。
同年、帝国キネマ演芸に復帰し、同社の太秦撮影所に所属、『天保入墨奇談』(監督押本七之輔)に出演、同作は同年9月8日に公開されたが、同社がそれに先立つ同年8月28日に新興キネマに改組されたため ……

泉清子が亡くなってから、74年と87日が経過しました。(27116日)