マキノ智子 氏(まきのともこ)
女優[日本]
(別名義・牧野輝子など)
1984年 10月20日 死去享年78歳
マキノ 智子(マキノ ともこ、1907年1月29日 - 1984年10月20日)は、日本の女優である。
「日本映画の父」といわれた牧野省三の四女。
父の映画の子役からスタートし、大スターとなった。
本名は加藤 恵美子(かとう えみこ、旧姓:牧野)。
芸名はほかにも、マキノ輝子(マキノ てるこ)、牧野智子、藤野智子(ふじの ともこ)、牧野輝子、マキノ恵美子(マキノ えみこ)、マキノ笑子(マキノ えみこ)などがある。
来歴・人物=
京都市に生まれる。
1歳年下の弟に映画監督のマキノ雅弘、2歳年下の弟に映画プロデューサーのマキノ光雄がいる。
家政高等女学校(後の家政学園高等学校。
現・京都文教中学校・高等学校)卒業後に、父が経営するマキノ映画製作所に入社する。
『ロビンフットの夢』(1924年)
『逆流』(1924年)
『探偵綺譚 文明の復讐』(1925年)左から寿々喜多呂九平、不明、マキノ、金森萬象、月形龍之介
「マキノ輝子」時代に、妻子ある月形龍之介と共演を続け結果、これが不倫に発展、駆け落ちをした挙句、一女を儲けている。
二川文太郎監督マキノ智子主演「斑蛇」(1928年)
その後、俳優の四代目澤村國太郎と結婚、長門裕之・津川雅彦の兄弟をもうける。
『敵討加賀見山』(1929年)公開時のチラシ。
図柄はマキノ智子
父牧野省三と(1929年より前)
戦後も女優を続け、やがて引退、1984年(昭和59年)に77歳で死去した。
マキノ家=
女優の沢村貞子、俳優の ……
マキノ智子が亡くなってから、40年と32日が経過しました。(14642日)