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松平不昧(まつだいらふまい)

出雲松江藩第7代藩主、茶人大名[日本]

(諱・治郷、文政元年4月24日没)

1818年 5月28日 死去享年68歳

松平不昧 - ウィキペディアより引用

松平 治郷(まつだいら はるさと)は、江戸時代中期から後期の大名。
出雲国松江藩の第10代藩主。
雲州松平家7代。
江戸時代の代表的茶人の一人で、号の不昧(ふまい)で知られる。
その茶風は不昧流として現代まで続いている。
生涯= 寛延4年2月14日(1751年3月11日)、6代藩主・松平宗衍の次男として誕生。
明和4年(1767年)、父の隠居により家督を継いだ。
10代将軍・徳川家治からの偏諱と祖父・宣維の初名「直郷」の1字とにより治郷と名乗る。
この頃、松江藩は財政が破綻しており、周囲では「雲州様(松江藩の藩主)は恐らく滅亡するだろう」と囁かれるほどであった。
そのため治郷は、家老の朝日茂保と共に藩政改革に乗り出し、積極的な農業政策の他に治水工事を行い、木綿や朝鮮人参、楮、櫨などの商品価値の高い特産品を栽培することで財政再建を試みた。
しかしその反面で厳しい政策が行なわれ、それまでの借金を全て棒引き、藩札の使用禁止、厳しい倹約令、村役人などの特権行使の停止、年貢の徴収を四公六民から七公三民にするなどとした。
これらの倹約、引き締め政策を踏まえ、安永7年(1778年)に井上恵助による防砂林事業が完成、天明5年(1785年)の清原太兵衛による佐陀川の治水事業も完了し、これらの政策で藩の財政改革は成功した。
これにより空になっていた藩の金蔵に多くの金が蓄えられたと言われる。
ただし、財政が再建されて潤った後、茶人としての ……

松平不昧が亡くなってから、206年と176日が経過しました。(75418日)

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