芸能人・経営者のおくやみ情報

佐々木忠次 氏(ささきただつぐ)

インプレサリオ、東京バレエ団総監督[日本]

2016年 4月16日 死去心不全享年84歳

佐々木 忠次(ささき ただつぐ、1933年〈昭和8年〉2月13日 - 2016年〈平成28年〉4月30日 )は、日本の舞台監督、インプレサリオ、著述家。
東京バレエ団総監督、日本舞台芸術振興会(略称 NBS)専務理事を務めた。
愛称は「ササチュー」。
「日本のディアギレフ」との異名で呼ばれた。
モットーは「諦めるな、逃げるな、媚びるな」。
略歴= 生い立ち= 東京府本郷区向ヶ丘弥生町に六人兄弟の次男として生まれる。
子供のときから母の影響で芝居、コンサート、オペラに興味を持ち、特に東京宝塚劇場や国際劇場に惹かれた。
しかし戦況が悪化し、6年生で栃木県塩谷郡塩原町で飢えを極めた学童集団疎開を経験した後、運悪く卒業前の東京大空襲前日に6年生だけ帰郷し、目の前で自宅が焼失する。
呼べど叫べど誰も自宅の焼失を止めてくれなかった経験は、その後の佐々木の社会の大人への不信と反骨精神として佐々木の心に深く刻まれた。
佐々木家は神奈川県足柄下郡真鶴町に転居。
1945年(昭和20年)4月に神奈川県立小田原中学校入学。
終戦後、秋に東京府本所区亀沢に転居し、私立本郷中学校に転校。
佐々木はまた劇場通いを始めた。
そしてまず音楽部に入部した。
部長が古流松藤会家元の息子で、演劇が好きでよく劇場へ行っていて、佐々木も連れて行ってもらっていた。
ところが音楽部は佐々木が中2のときになくなり、高1のとき佐々木自ら演劇部を作った。
そして台本、演出、 ……

佐々木忠次さんが亡くなってから、8年と219日が経ちました。(3141日)

推定関連画像