池田成彬(いけだしげあき)
実業家、政治家、日銀総裁[日本]
1950年 10月9日 死去腸潰瘍享年84歳
池田 成彬(いけだ しげあき、慶応3年7月16日〈1867年8月15日〉 - 昭和25年〈1950年〉10月9日)は、日本の政治家、実業家。
三井合名会社筆頭常務理事(事実上の三井財閥総帥)、第14代日本銀行総裁、大蔵大臣兼商工大臣、内閣参議(第一次近衛内閣・平沼内閣・第2次近衛内閣)、枢密顧問官(東條内閣)、を歴任。
1930年代後半には親英米の穏健派として度々首相候補に擬せられたが、軍部の反対などもあって実現しなかった。
『成彬』は音読みで「せいひん」とも、晩年の質素な生活から「清貧」とも呼ばれた。
経歴=
生い立ち=
出羽国(現在の山形県米沢市)に米沢藩士・池田成章の長男として生まれる。
江戸留守居役であった父の影響により、米沢藩の米沢中学(現・米沢興譲館高校)で漢学を学んだ後、1880年頃、すぐに東京に出て有馬学校を振り出しに、小永井小舟の濂西塾に入り儒学と漢学を学ぶ。
更に、中條政恒について漢学を学ぶ。
中條には平田東助、後藤新平も学んでいる。
次いで進文学舎に進学。
慶應義塾時代=
大学予備門の受験勉強のために、知人に慶應義塾別科を勧められて入学。
1888年(明治21年)7月、慶應義塾別科を卒業後、大学部が設立されることを聞き、東京帝大の受験から転換し、その後約1年半イギリス人に付いて英学の個人授業を受け、1890年(明治23年)1月、新設された大学部理財科(現在の慶應義塾大学経済学部)に入学。
入学前から英語を学んでいたことが ……
池田成彬が亡くなってから、74年と43日が経過しました。(27072日)