山口青邨 氏(やまぐちせいそん)
俳人、鉱山学者[日本]
1988年 12月15日 死去享年97歳
山口 青邨(やまぐち せいそん、1892年〈明治25年〉5月10日 - 1988年〈昭和63年〉12月15日)は、日本の俳人・鉱山学者。
岩手県出身。
東京大学名誉教授。
本名は吉郎(きちろう)。
初号は泥邨。
高浜虚子に俳句を師事、工学博士として東京大学に勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。
経歴=
岩手県盛岡市出身。
父は士族の家柄。
5歳のときに母が死去し、母方の叔父笹間夫妻の元で育った。
岩手県立盛岡中学校卒業、1910年、第二高等学校入学。
野球部でキャプテンを務めた。
1916年、東京帝国大学工科大学採鉱科卒業。
古河鉱業に入社。
1918年、退社し農商務省技師として鉱山省に勤務。
19年にはシベリア炭鉱を調査した。
1921年、東京大学工学部助教授。
1922年結婚。
1927年から1929年までベルリンに留学。
1929年、東京大学工学部教授。
1953年、東大教授を定年退職し名誉教授。
東大教授を定年退職して後は、公職につかず、毎日俳壇など各種の新聞・雑誌で選者を務めた。
二高時代にドイツ語教授の登張竹風から文学上の影響を受ける。
1920年に石原純、山中登らと、文芸誌「玄土」を創刊、シュトルムの「湖」を日本で初めて訳し、「蜜蜂の湖」の題で発表した。
1922年より高浜虚子に師事。
「山会」に参加し、はじめは写生文の書き手として頭角を現した。
また同年に水原秋桜子、山口誓子、富安風生、高野素十らと東大俳句会を結成。
1923年、「芸術運動」発刊 ……
山口青邨さんが亡くなってから、35年と341日が経ちました。(13125日)