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木内信胤 氏(きうちのぶたね)

経済評論家[日本]

1993年 12月5日 死去享年95歳

木内 信胤(きうち のぶたね、1899年7月30日 - 1993年12月5日)は、日本の経済評論家。
日蓮宗徒。
生涯= 木内重四郎・磯路夫妻の次男として東京府(現在の東京都)に生まれる。
父・重四郎は内務官僚で、母・磯路は三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の次女。
従って三菱の3代目総帥・岩崎久弥は母方の伯父にあたり、エリザベス・サンダースホームの創設者・沢田美喜は母方の従妹ということになる。
また妹・登喜子は渋沢敬三に嫁ぎ、妻の多代は福澤諭吉の孫娘にあたる。
兄・良胤と甥・昭胤(良胤の長男)はともに外交官。
元衆議院議員の木内孝胤は昭胤の次男なので、信胤は孝胤の大叔父にあたる。
家柄もあって、白洲次郎と親しくなった。
旧制一高時代は野球部で活動。
1918年、投手の内村祐之(内村鑑三の長男)らと一高が早稲田・慶應義塾を久しぶりに撃破し野球界の覇者に復帰した年は一年生でレフトを守った。
三年時には四番捕手・主将を務めた。
東京帝大法学部卒業後、横浜正金銀行に入り総務部長・調査部長を最後に退職。
大蔵省終戦連絡部長として米占領当局との折衝に関わった後、吉田茂に請われて外国為替管理委員会の初代委員長に就任。
1952年に同委員会が解散して後に世界経済調査会を1955年に創設し1993年に死去するまで同会理事長を務め、特に池田勇人・佐藤栄作・福田赳夫など官僚出身の政治家との関わりから「歴代内閣の経済指南番」と呼ばれた。
更に日 ……

木内信胤さんが亡くなってから、31年と65日が経ちました。(11388日)