藤原弘達 氏(ふじわらひろたつ)
政治評論家[日本]
1999年 3月3日 死去享年79歳

藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月31日 - 1999年〈平成11年〉3月3日)は、日本の政治学者、評論家。
広島県尾道市生まれ。
「ふじわら こうたつ」と呼ばれることが多い。
略歴=
雑貨店の忠雄と美容師キクノの長男。
5歳の時に父を腸チフスで亡くし、母は国鉄駅員と再婚。
尾道市立筒湯小学校(現・尾道市立久保小学校)、福山誠之館中学を経て、第六高等学校に入学。
同級生に星野直樹次男の星野良二。
1942年(昭和17年)東京大学法学部に入学。
同級生に志垣民郎。
高等学校の教師の伝手で法制局参事官の長村貞一の邸宅に下宿していた。
1943年(昭和18年)12月末に学徒出陣に召集され、歩兵第11連隊補充隊(広島西部第2部隊)にて3か月間の普通教育を受けたのち、久留米第一予備士官学校に入学。
入学間もなく肺炎を患い入院している。
福知山中部教育連隊を経て昭和19年12月、見習士官となり広島西部第2部隊に復帰。
このころ、仮卒業証書を受け取っている。
1945年(昭和20年)1月、門司港を出港、広東省仙頭に上陸。
慶来にて新規編成の第130師団隷下独立第100大隊に配属され、機関銃隊小隊長。
仏山にて陣地構築につとめ、またゲリラ化した村落襲撃で小規模な白兵戦を経験した。
敗戦目前の8月、香港の水上特別攻撃隊への転属を命ぜられ、わずか2,3日の訓練で実戦配備されるが終戦。
独立第100大隊に復帰し、捕虜として拘留されたのち1946年3月、浦賀 ……
藤原弘達さんが亡くなってから、26年と30日が経ちました。(9527日)