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峰岸徹 氏(みねぎしとおる)

俳優[日本]

2008年 10月11日 死去肺がん享年66歳

峰岸 徹(みねぎし とおる、1943年7月17日 - 2008年10月11日)は、日本の俳優。
本名は、峰岸 知夫(みねぎし ともお)。
東京都出身。
元妻は藍とも子、血液型はO型。
最後の所属事務所はアクトレインクラブ。
来歴・人物= 東京都出生、中央区立泰明小学校3年生時に日本橋浜町へ引っ越す。
戦後、銀座で料亭「竹水」を営む母に育てられ、虚弱体質の少年だったが、ジェームズ・ディーンと石原裕次郎に憧れて俳優を志す。
幼少期より落語にも魅せられ、よく母に人形町末広亭などの方々の寄席へ連れて行ってもらっていた。
1962年に峰 健二の芸名で東宝映画『高校生と女教師・非情の青春』でデビュー。
当時、六本木野獣会(渡辺プロダクションの渡辺晋社長が当時話題を呼んだ六本木族にならって若手スターの話題作りのためにプロデュースした集団)に属し、日本橋浜町の自宅には頻繁にメンバーの面々が集うほど慕われた存在であった。
その風貌から、「和製ジェームス・ディーン」と呼ばれた「赤木圭一郎の生き写し」と言われ、『若い季節』や東宝映画へ出演。
しかし、端正な二枚目ぶりが目立つあまり、若手の頃は演技力についての評価は思ったほどなく、峰岸自身も悩んでいた。
俳優座養成所第16期生(同期には古谷一行、河原崎建三、大出俊、鶴田忍、太地喜和子、須永慶、剣持伴紀、青山眉子)、文学座研究生を経て、1968年に田宮二郎に続く看板スターを探していた大映と契約 ……

峰岸徹さんが亡くなってから、16年と13日が経ちました。(5857日)

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