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山本昌平 氏(やまもとしょうへい)

俳優声優ナレーター[日本]

2019年 10月30日 死去肺炎享年92歳

山本 昌平(やまもと しょうへい、1938年〈昭和13年〉1月17日[1][2][3][4][5] - 2019年〈令和元年〉10月30日[6])は、日本の俳優、声優、ナレーター[4]。
本名同じ[1][2]。
身長168cm、体重76kg[4]。
フリーポートプロを経て[2]、オフィス山本に所属していた[3]。
台湾の澎湖島生まれ[5][1]、熊本県育ち[4]。
東京都立江戸川高等学校卒業[1]。
既婚。
来歴・人物= 中学生時代、走高跳で九州大会第2位となった実績を持つ[7]。
1957年に劇団七曜会の研究生となる。
その後、劇団三期会演出部を経て、浅草フランス座のコメディアンとして3年間活動後、1963年にフリーとなる[1][8]。
フリーとなって以降は『荒野のダッチワイフ』(1967年)などのピンク映画を中心に活動するが、一時俳優を廃業する[1][9]。
芸能活動を休止していた時期は船員をしていた。
その当時、内外タイムスの当時の編集長から映画『暴力街』の製作元である東映から山本の捜索願が出ていることを聞き、『暴力街』の監督である五社英雄と面会して出演が決定した。
後年、「その時連絡がなかったら俳優を辞めていたかもしれない」と述懐している[10]。
1974年の映画『暴力街』で復帰後は、『女必殺拳』(1974年)、『ルバング島の奇跡 陸軍中野学校』(1974年)などで悪役として活動する一方、『太陽にほえろ!』『大江戸捜査網』などのテレビドラマでも悪役を多数演じる[1]。
特撮テレビドラマ『プロレスの星 アステカイザー』(1976年)、 ……

山本昌平さんが亡くなってから、5年と246日が経ちました。(2072日)

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