川谷拓三 氏(かわたにたくぞう)
俳優[日本]
1995年 12月22日 死去享年55歳
川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年〈昭和16年〉7月21日 - 1995年〈平成7年〉12月22日)は、日本の俳優。
本名は仁科 拓三(にしな たくぞう・旧姓:川谷)。
愛称は拓ボン。
大部屋俳優から上り詰め、昭和を中心に活躍した名優の一人。
仁科貴は長男、仁科扶紀は長女、仁科熊彦は岳父、岡島艶子は丈母にあたる。
大叔父(実母の叔父)に伊沢一郎がいる。
来歴=
生い立ち=
父・川谷庄平は1915年に17歳で日活京都にカメラ助手として入社、牧野省三作品や尾上松之助の映画を撮り、1927年に日活を退社するまでに、主に築山光吉とコンビで237本の映画を撮影したカメラマンで1975年没。
享年77。
母・二三子は女優という映画関係の家族の四男一女の三男として満洲新京(長春)で生まれた。
敗戦により6歳のとき一家で満洲から引き揚げ、安芸市(当時・安芸郡安芸町)に住む。
当時、父は定職がなく、市内の映画館・太平館の自転車預かり所に働く母が生計を支えていた。
川谷自身も安芸小学校3年のときから母のもとへ出入りしてバイトを始め、放課後はポスター貼り、看板のかけ替え、夜は自転車預かりをしながら映画に親しんだ。
市立安芸中学に入学した頃、マーロン・ブランドの『乱暴者』(あばれもの)を見て、自分も映画俳優になろうと決意し、中学卒業後の1957年4月に京都へ向かった。
俳優志望であったが、氷屋での丁稚時代が2年間程続いた。
俳優としての活動=
1959年秋に18歳で第 ……
川谷拓三さんが亡くなってから、28年と335日が経ちました。(10562日)