南部利済(なんぶとしただ)
陸奥盛岡藩主[日本]
(安政2年4月14日没)
1855年 5月29日 死去享年59歳
南部 利済(なんぶ としただ)は、江戸時代後期の大名。
陸奥国盛岡藩の第12代藩主。
官位は従四位下・信濃守、左少将。
三閉伊一揆を誘発した。
横沢兵庫を登用して武備充実や殖産興業策などの積極的な政策を推進したが、経済振興のために盛岡城下に遊郭を建設するなど、藩内感情を無視した膨大急激な計画は反感を買い、凶作の中での奢侈と増税で、最終的には三閉伊一揆を誘発して隠居したにもかかわらず、隠居後も俗に「三奸」と呼ばれた田鎖高行、石原汀、川島杢左衛門を重用して藩政に介入した。
南部利済が亡くなってから、168年と2日が経過しました。(61364日)