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斎藤真一 氏

画家作家[日本]

1994年 9月18日 死去膵臓がん享年72歳

斎藤 真一(さいとう しんいち、1922年7月6日 - 1994年9月18日)は、岡山県倉敷市出身の洋画家、作家。
映画「吉原炎上」の原作者としても知られる。 生涯= 斎藤真一は1922年(大正11年)、岡山県児島郡味野町(現・倉敷市児島味野)に父・斎藤藤太郎(都山流尺八大師範)、母・益の長男として生まれる。
1935年(昭和10年)に岡山県立天城中学校に入学すると、味野から峠を越えて天城中学まで3里半の道のりを5年間、自転車で通学する。
2年生で陸上部に入部、秋から県大会に出場し始めるとしばしば入賞し、3年生で県下の駅伝大会にアンカーとして出場し優勝、天城中学の名を高める。
その実績を買われて4年次にマラソンに誘われるが、好きな絵を優先させて断念する。
油絵具を買ってもらうと猛烈に絵に興味を抱き、日曜日ごとに天城中学より更に2里離れた大原美術館に通ううち、グレコ、セガンチニ、コッテ に魅了される。
教師から藤田嗣治の複製画を見せられて虜になり、上野の美校(東京美術学校)に憧れる。
中学校卒業の年1940年(昭和15年) に岡山県立天城岡山師範二部に入学、美校進学を目指し、師範学校の2年間はデッサン室にこもり親友と受験デッサンに明け暮れ、師範学校の2年次に東京美術学校(現・東京芸術大学)師範科を受験して合格、1942年(昭和17年)東京へ移ると、まもなく徴兵に応召、海軍に3年従軍して学籍に戻った。
1948年(昭和23年)に卒業すると、静岡市立第一中学校 ……

斎藤真一さんが亡くなってから、30年と64日が経ちました。(11022日)

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