小村雪岱(こむらせったい)
日本画家、版画家、挿絵画家、装幀家[日本]
1940年 10月17日 死去脳溢血享年54歳
小村 雪岱(こむら せったい、明治20年(1887年)3月22日 - 昭和15年(1940年)10月17日)は、大正から昭和初期の日本画家、版画家、挿絵画家、装幀家。
生涯=
明治20年(1887年)、埼玉県川越市郭町に父小村繁門(しげかど)、母もんの長男として生まれる。
本名は泰助。
明治24年(1891年)に父が病没し、翌年母が小村家より離縁されたため、幼くして両親を失い、伯父の小村万吉に養育されることになった。
明治33年(1900年)、坂戸尋常高等小学校を卒業した雪岱は、翌明治34年(1901年)、東京の神田神保町に住む叔母の家に寄宿し始めた。
明治35年(1902年)、叔母の世話で、日本橋檜物町に住む外務省勤務の書家安並賢輔方で学僕となる。
明治38年には養子縁組した。
明治36年(1903年)、雪岱は16歳の時に画家を志して日本画家の荒木寛畝に入門した。
明治37年(1904年)、東京美術学校日本画科選科入学。
下村観山教室に学ぶ。
古画の模写、風俗考証を学ぶ。
明治40年(1907年)に福岡医科大学の久保猪之吉が上京してきて、夫人とともに駿河台の宿屋に泊まった。
この時、歌川豊国の絵の模写を頼まれていた雪岱がそれを届けに宿屋へ伺うと、久保は外出しており夫人が応じた。
そこへ宿屋の女中が「泉先生の奥様がお見えになりました」と告げに来たという。
久保夫人と泉鏡花夫人は昵懇であったようで、「明日は鏡花本人もここにお邪魔します」という言葉を聞いて、既に鏡花の小説を ……
小村雪岱が亡くなってから、84年と35日が経過しました。(30716日)