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高川格 氏(たかがわかく)

囲碁棋士[日本]

1986年 11月26日 死去享年72歳

高川格 - ウィキペディアより引用

二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいぼう しゅうかく、1915年9月21日 - 1986年11月26日)本名:高川格(たかがわ かく)は、日本の囲碁棋士。
本因坊戦9連覇の功績により名誉本因坊として高川秀格(たかがわ しゅうかく)と号し、後に二十二世本因坊を贈られる。
和歌山県出身、光原伊太郎名誉八段門下。
本因坊位の他にも、名人、十段等タイトル多数の、昭和を代表する名棋士の一人。
「流水不争先」を信条とし、平明流とも言われる、合理的で大局観に明るい棋風。
経歴= 生い立ち= 和歌山県田辺町(現在の田辺市)生まれ。
6歳頃に父の影響で碁を覚え、1925年に9歳で棋士を目指して上京し日本棋院に通うが、事情により2か月で帰郷する。
1926年に大阪で光原伊太郎五段(当時)に入門し、高津中学(現大阪府立高津高等学校)に入学した1928年に入段、関西囲碁研究会に参加。
1931年に光原の師の岩佐銈六段(当時)に2子で勝ち二段を許される。
神戸の久保松勝喜代、京都の吉田操子の研究会にも参加した。
中学四年修了時に、学業の道を考えて大阪商科大学予科を受験したが、不合格となり、囲碁の道に進むことを決める。
中学を卒業した1933年から東京の大手合に参加。
この頃関西では、1年下の田中不二男と「天才田中、秀才高川」と並び称される。
1939年の大手合で五段昇段し、東京に移転、翌年に関西別院から日本棋院所属に移籍。
この頃、藤沢庫之助、坂田栄男とともに日本棋 ……

高川格さんが亡くなってから、37年と361日が経ちました。(13875日)

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