藤沢朋斎 氏(ふじさわほうさい)
囲碁棋士[日本]
(本名・藤沢庫之助)
1992年 8月2日 死去享年74歳
藤沢 朋斎(ふじさわ ほうさい、1919年(大正8年)3月5日 - 1992年(平成4年)8月2日)は、囲碁棋士。
本名は藤沢庫之助(ふじさわ くらのすけ)。
神奈川県出身。
日本棋院の大手合による昇段制度初の九段。
呉清源と3度の十番碁を戦った。
棋風は深い読みに裏付けられた力戦派で、「ダンプカー級の突進力」などと形容された。
また白番のマネ碁を多く試みたが、シチョウを利用したマネ碁対策が現われてからは成績は芳しくなかった。
藤沢秀行名誉棋聖は年下の叔父(母の弟)、小島高穂九段は甥(姉の子)、藤澤一就八段は従弟、藤沢里菜四段は従姪にあたる。
安倍吉輝は、入段した後に藤沢の門下となる。
経歴=
先番無敵=
神奈川県横浜市に生まれ、祖父重五郎(藤沢秀行の父)などの影響で碁を始める。
1930年に姉とともに日本棋院院生となり、1933年入段。
本因坊秀哉に可愛がられたとされる。
1934年に國民新聞の若手棋士による勝ち抜き戦で、10人抜きを達成。
1938年四段時に、東京日日新聞主催の対六段戦で5戦全勝。
1942年六段で、前年からの雁金準一と呉清源の十番碁に続いて、雁金の率いる瓊韻社の渡辺昇吉六段と十番碁を打ち、3連勝して打ち切りとなった。
この頃は堅実な碁風で、黒番不敗とも言われた。
この頃、高川格、坂田栄男とともに日本棋院若手三羽烏と呼ばれた。
1943年には呉清源八段と十番碁(第一次)を行い、藤沢定先で7局目まで3勝4敗であったが、3連 ……
藤沢朋斎さんが亡くなってから、32年と111日が経ちました。(11799日)