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南部利視(なんぶとしみ)

陸奥盛岡藩主[日本]

(宝暦2年3月28日没)

1752年 5月11日 死去享年45歳

南部利視 - ウィキペディアより引用

南部 利視(なんぶ としみ)は、江戸時代中期の大名。
陸奥国盛岡藩の第7代藩主。
官位は従四位下・修理大夫、大膳大夫。
経歴= 宝永5年(1708年)、第5代藩主・南部信恩の次男として誕生。
信恩の死後に生まれたため、叔父の利幹が6代藩主となった。
幼少時は毛馬内直道が近習を務めた。
享保10年(1725年)7月21日、利幹の末期養子として家督を継いだ。
同年7月28日、8代将軍・徳川吉宗に御目見した。
同年12月18日、従五位下・修理大夫に叙任した。
寛延2年(1750年)12月18日、従四位下に昇進する。
寛保4年(1744年)1月27日、頭髪の薄さから幕府に惣髪願いを出し、許可されている。
藩主の就任当時は18歳で、家老・中野光康(吉兵衛)に藩政を委ねた。
しかし、中野は前藩主時代の倹約政策を破棄して旧制度を復活させたため、翌年には参勤交代の下向の費用に窮する事態となる。
なお、藩主・利視は「頗る遊狩を好み、普く領内を巡視せるを以て、能く風俗を諳じ民情」(『南部史要』)に通じていたという。
長男の信伝は旗本南部信弥の養子としており、前藩主・利幹の長男(利視の従弟)利雄を養子にして家督を継がせた。
宝暦2年(1752年)に死去した。
なお、次男の南部信居は新屋敷三戸家を、三男の三戸信駕は中屋敷三戸家、四男の南部信周は角屋敷三戸家を興している。
系譜= 子女は11男8女、うち1人は養女 父:南部信恩(1678-1707) 母:浄智院 - 黒沢氏 養父:南部利 ……

南部利視が亡くなってから、272年と192日が経過しました。(99540日)