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安康天皇(あんこうてんのう)

第20代天皇[日本]

(ユリウス暦) 0456年 9月24日 死去暗殺

安康天皇 - ウィキペディアより引用

安康天皇(あんこうてんのう、履中天皇2年? - 安康天皇3年8月9日)は、日本の第20代天皇(在位:允恭天皇42年12月14日 - 安康天皇3年8月9日)。
『日本書紀』での名は穴穂天皇。
暗殺されたと明確に記された最初の天皇である。
略歴= 雄朝津間稚子宿禰天皇(允恭天皇)の第二皇子。
母は稚渟毛二派皇子(応神天皇皇子)の女の忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)。
木梨軽皇子の同母弟で、大泊瀬幼武天皇(雄略天皇)の同母兄。
父帝が崩御すると、群臣の支持を失っていた太子の兄に替わって即位。
石上穴穂宮に都を遷す。
即位元年、根使主の讒言を信じておじ(大鷦鷯天皇(仁徳天皇)の皇子)の大草香皇子を誅殺。
即位2年、その妃であった中蒂姫を皇后に立てたが、翌年8月9日に連れ子の眉輪王に暗殺されて崩御した。
その後、弟の大泊瀬皇子が眉輪王を含めた多くの皇族を殺して後を継ぎ即位。
根使主は14年後に讒言が発覚して誅殺されたが、やすやすと信じてしまった安康天皇の過ちもあり根使主の子孫が根絶やしにされることはなかった。
名= 穴穂天皇(あなほのすめらみこと) - 『日本書紀』、和風諡号 穴穂皇子(あなほのみこ) - 『日本書紀』 穴穂御子(あなほのみこ) - 『古事記』 漢風諡号である「安康天皇」は、代々の天皇と同様、奈良時代に淡海三船によって撰進された。
事績= 即位= 允恭天皇42年1月に雄朝津間稚子宿禰天皇(允恭天皇)が崩御。
皇太子の木 ……