武烈天皇(ぶれつてんのう)
第25代天皇[日本]
(ユリウス暦) 0507年 1月7日 死去
武烈天皇(ぶれつてんのう、仁賢天皇2年 - 武烈天皇8年12月8日)は、日本の第25代天皇(在位:仁賢天皇11年12月 - 武烈天皇8年12月8日)。
名は小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせのわかさざきのみこと)・小泊瀬稚鷦鷯天皇(-のすめらみこと、以上『日本書紀』)、小長谷若雀命(『古事記』)。
漢風諡号である「武烈天皇」は、代々の天皇と同様、奈良時代に淡海三船によって撰進された。
皇居=
都は泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)。
奈良県桜井市出雲の十二柱神社に「武烈天皇泊瀬列城宮跡」の石碑がある。
『古事記』では「長谷之列木宮」と記す。
世系=
天皇系図 15~26代
父は仁賢天皇、母は春日大娘皇女(雄略天皇の皇女)で、父母は共に三従兄弟姉妹である。
同母姉に手白香皇女(継体天皇后)・橘仲皇女(宣化天皇后)がいる。
皇后:春日娘子(かすがのいらつめ) - 『古事記』に見えず。
皇子女なし
『日本書紀』に「男女無くして継嗣絶ゆべし」、『古事記』にも「日続知らすべき王無かりき」とある。
略歴=
日本書紀による記述=
長じて罪人を罰し、理非を判定する事をお好みになった。
法令にお通じになり、日の暮れるまで政治をお執りになって、世に知られずにいる無実の罪は必ずお見抜きになり、それをおはらしになった。
訴訟の審理はまことに当を得ておられた。
また、しきりに多くの悪行をなさって、一つも善業を行われなかった。
さまざな酷刑をご覧になら ……