荒川修作 氏(あらかわしゅうさく)
美術家、建築家[日本]
2010年 5月19日 死去享年75歳
荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7月6日 - 2010年〈平成22年〉5月19日)は、日本の美術家である。
愛知県名古屋市出身。
略歴=
養老天命反転地
1936年、名古屋市に生まれる。
生家はうどん屋。
愛知県立旭丘高等学校美術科卒業で元ロサンゼルス在住の現代石彫家、国島征二と同窓だった。
武蔵野美術学校中退。
1957年、読売アンデパンダン展に初出品し、1960年、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの結成に参加。
1961年、渡米し、滝口修造の仲介でマルセル・デュシャンに会い以後ニューヨークを拠点に活動を続けた。
渡米後、マドリン・ギンズと知り合い1962年頃から共同制作を始める。
1970年、ヴェネツィア・ビエンナーレで代表作となる『意味のメカニズム』を発表。
1972年、同作のドイツでの巡回展示を見た物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクから賞賛され、ギンズとともにマックス・プランク研究所に招待をうける。
また同年、ミュンヘンオリンピックのポスターをデザインした。
1982年、紺綬褒章受章、1986年、フランス文芸シュヴァリエ勲章受章、2003年、紫綬褒章受章など内外でその活躍が認められている。
1997年、グッゲンハイム美術館で日本人としては初の個展を開催している。
初期には棺桶に入ったオブジェのような奇怪な作品を作っていたが渡米してからは画面に図形、文字、矢印などを描き込んだ「図形絵画」と呼ばれる一連の作品を制作する。
「意 ……
荒川修作さんが亡くなってから、14年と186日が経ちました。(5300日)