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金子金五郎 氏(かねこきんごろう)

将棋棋士[日本]

1990年 1月6日 死去享年89歳

金子 金五郎(かねこ きんごろう、1902年〈明治35年〉1月6日 - 1990年〈平成2年〉1月6日)は、大正・昭和時代に活動した将棋棋士。
九段。
土居市太郎名誉名人門下。
東京府(現:東京都)出身。
棋士番号は3。
経歴= 大正5年(1916年)、土居市太郎に入門。
大正6年(1917年)、「将棋同盟社」において土居が師の関根金次郎と仲たがいし将棋界が分裂すると、土居門下の金子は「将棋同盟社」に残存した。
大正9年(1920年)に四段昇段。
同年に國民新聞で主催された三派対抗戦に土居派を代表して出場。
関根派の木村義雄、大崎熊雄派の飯塚勘一郎と対戦した。
大正13年(1924年)に三派が合同して東京将棋連盟が成立する。
昭和7年(1932年)に八段となる。
しかしかつてライバルであった木村には実力で大きく差をつけられてしまい、一時は角落ちまで指し込まれたこともあるという。
昭和10年(1935年)、実力制名人戦が開始されると、八段として挑戦者決定リーグに参加する。
同年6月26日の花田長太郎との対戦がリーグ開幕であった。
しかし、神田辰之助の八段昇段をめぐって棋界が分裂すると(神田事件)、同年11月に金子は花田と共に連盟より離脱し、神田と合流して「革新協会」を組織した。
この分裂劇は、神田の支援者である大阪朝日新聞と連盟の最高顧問であった中島富治、それと幹事長であった金子らとの間に神田の八段昇段の密約があったが、正式に棋士会の承認を得てい ……

金子金五郎さんが亡くなってから、34年と319日が経ちました。(12738日)

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