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関根金次郎(せきねきんじろう)

将棋棋士[日本]

1946年 3月12日 死去享年79歳

関根金次郎 - ウィキペディアより引用

関根 金次郎(せきね きんじろう、1868年4月23日〈慶応4年4月1日〉 - 1946年〈昭和21年〉3月12日)は、明治から昭和初期の将棋棋士、十三世名人。
本来の表記は關根金次郞。
八代伊藤宗印及び十二代大橋宗金門下。
将棋連盟や実力名人制を創始した。
「近代将棋の父」とも称される。
下総国葛飾郡東宝珠花村(現在の千葉県野田市東宝珠花)の生まれ。
昇段履歴= 1883年(明治16年)_:二段 1888年(明治21年)頃:三段 1891年(明治24年)_:四段 1895年(明治28年)_:五段 1897年(明治30年)_:六段 1905年(明治38年)_:八段準名人 1921年(大正10年)_:名人襲位(十三世名人) 1938年(昭和13年)_:名人退位(1938年2月11日) 1946年(昭和21年)_:死去(享年77) 生涯= 東宝珠花村で農業と灸点業を営む関根積次郎・たみの次男として生まれる。
隣村岡田村の寺子屋に通わせられるが、途中、将棋を指してばかりのため、やめさせられてしまう。
次に学校に通わされると、学校では将棋好きの校長先生と指し、村では老人らと指し、一日ごとに強くなる実感を得る。
ついには、あまりの強さに村中で相手がいなくなり、宝珠花小僧の異名で呼ばれるようになった。
学校に行くふりをして弁当持参で遠くの村にも遠征した。
その後、親によって学校に行くのをやめさせられ、奉公に出されるも、将棋を指してばかりで1週間 - 10日ほどで追い出され、奉公先を転々とする。
11歳の春、将棋指しを志して ……

関根金次郎が亡くなってから、78年と267日が経過しました。(28757日)