知里真志保(ちりましほ)
言語学者[日本]
(北海道大学名誉教授・アイヌ語学)
1961年 6月9日 死去享年53歳

知里 真志保(ちり ましほ、1909年〈明治42年〉2月24日 - 1961年〈昭和36年〉6月9日)は、アイヌの言語学者。
文学博士。
北海道大学名誉教授。
専攻はアイヌ語学。
姉は『アイヌ神謡集』著者の知里幸恵、伯母は口承文芸伝承者の金成マツ。
経歴=
出生から修学期
1909年2月24日、北海道幌別郡登別村(現在の登別市登別本町)で生まれた。
。
1929年3月、北海道庁立室蘭中学校(現在の北海道室蘭栄高等学校)を卒業し、地元の幌別役場に勤務する。
その後、喜田貞吉と金田一京助が両親に大学進学を勧め、進学を決意した。
1930年、上京して東京・杉並の金田一家に逗留し、第一高等学校に150人中12番の成績で合格し入学。
1933年3月に卒業。
同年4月から東京帝国大学文学部英文学科で学ぶが、1934年4月に言語学科に転科した。
1937年3月に言語学科を卒業し、同年4月に同大学大学院に進んだ。
在学中の1938年7月から三省堂編集部員となった。
1939年3月、東京帝国大学大学院を退学。
北海道へ戻り、アイヌ研究へ
1940年6月に三省堂を退職し、樺太庁豊原高等女学校教諭(嘱託)として勤務。
また、樺太庁博物館技術員を嘱託された。
1941年4月に正教諭となったが、1943年6月に病気のため退職。
同1943年、北海道帝国大学北方文化研究室嘱託となった。
太平洋戦争後
1948年に様似町で後に妻となる萩中美枝を紹介された。
知里は萩中をアイヌ研究の道に導くことになった。
1949年6月、北海 ……
知里真志保が亡くなってから、63年と342日が経過しました。(23353日)