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金城哲夫(きんじょうてつお)

脚本家[日本]

1976年 2月26日 死去脳挫傷享年39歳

金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年〈昭和13年〉7月5日 - 1976年〈昭和51年〉2月26日)は、日本の脚本家。
沖縄県島尻郡南風原町出身。
第一期ウルトラシリーズを企画し、文芸部長としてシリーズの基礎を作り上げた一人である。
来歴= 1938年に東京で生まれたが、中学までを沖縄で過ごした[出典 1]。
中学卒業後の1955年、那覇高校の受験に失敗、上京して玉川学園高等部、玉川大学文学部教育学科卒業。
高校時代は金星の研究をするSFクラブ「日金友好協会」を結成したり、友人たちと結成した「沖縄慰問隊」でアメリカ統治時代の沖縄を訪問するなど、リーダーシップを少年時代から発揮していた。
玉川時代に、入試の面接官であった上原輝男から民俗学を学び、研究するようになる。
大学の専任講師である上原輝男の影響を受け、脚本に興味を持ち始める[出典 2]。
上京した際に上原より教え子の一人だった円谷皐を介して円谷英二を紹介されて、彼の自宅である円谷特技研究所に出入りしながら東宝特撮映画で健筆を振るっていた関沢新一から脚本家としての指導を受ける[出典 3]。
関沢の薫陶による「ポジティブな娯楽(エンターテインメント)志向」は以後の金城の作風の根幹をなした。
1962年、TBSのテレビドラマ『絆』でデビュー[出典 4]。
同年、一度帰郷し長編映画『吉屋チルー物語』を自主制作[出典 5]。
1963年4月に設立された円谷特技プロダクションへ参画 ……

金城哲夫が亡くなってから、48年と269日が経過しました。(17801日)