円谷一(つぶらやはじめ)
演出家、プロデューサー、作詞家・東京一[日本]
1973年 2月9日 死去脳溢血享年43歳
円谷 一(つぶらや はじめ、1931年(昭和6年)4月23日 - 1973年(昭和48年)2月9日)は、演出家、プロデューサー。
円谷プロダクションの2代目社長。
作詞家として、東 京一(あずま きょういち)の名義がある。
父は初代社長で特技監督の円谷英二。
来歴=
学習院大学卒。
19歳の時にキリスト教の洗礼を受ける(洗礼名パウロ)。
KRT入社前年に、父・英二が特撮を手掛けた映画『ゴジラ』に参加。
TBS時代=
1955年にラジオ東京→KRT(テレビ事業は現在のTBSテレビ)に入社。
演出部にてディレクターとしてテレビドラマを制作。
『おトラさん』や「純愛シリーズ」といった作品にも演出として携わっていた。
中でも、1962年に「東芝日曜劇場」で放送された『煙の王様』(脚本:生田直親)は、芸術祭文部大臣賞を受賞するなど高い評価を得た。
特に子供の描写が得意とされた。
ウルトラシリーズ=
1963年、TBSがテレビ映画の自社製作を行なうために映画部門を新設すると飯島敏宏、中川晴之助らとともに映画部門に移籍する。
翌1964年には円谷プロダクション取締役に就任。
同年、TBS初の特撮テレビ映画『ウルトラQ』の制作にあたった。
『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』といった特撮番組の監督を務め、奇抜な演出方法が周囲に理解されずTBSで干されていた実相寺昭雄を拾うなど、シリーズの隆盛に力を尽くした。
円谷一が『ウルトラマン』で監督を務めた「ミイラの ……
円谷一が亡くなってから、51年と285日が経過しました。(18913日)