塚田茂 氏(つかだしげる)
放送作家[日本]
2008年 5月13日 死去脳梗塞享年83歳
塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 - 2008年(平成20年)5月13日)は、日本の演出家、放送作家、構成作家、作詞家、タレント。
東京府東京市(現・東京都特別区)豊島区池袋出身。
血液型はB型。
来歴・人物=
東京府立商工学校(現・東京都立北豊島工科高等学校)卒。
太平洋戦争中の1945年2月に徴兵検査で第一種乙種合格、それを受けて翌3月に召集令状が来た。
しかし、工科系学校に在籍する特権で2年の入営延期を認められ、日本無線に動員されるという形で勤務。
その間に戦争は終結した。
塚田は工科系の学生になったのは、特権が狙いだったとも話している。
終戦後はしばらくの間、親類の時計店の居候となった。
1946年、新聞の求人広告を見て、東宝に応募。
2000人中3人の合格者に入り、帝国劇場に所属。
最初の仕事は音響効果係だった。
1947年に有楽座所属となり照明係、1949年に日本劇場(日劇)に転じるも、人員整理により解雇となる。
その後は、有楽座に覚えたダンスを活かしてダンスの助教師、化粧品のセールスマンなどを務める。
1950年、日劇の地方興行専門の仕事を引き受け、照明係や演出などを担う。
1953年に福島県平市(現・いわき市)で行われた雪村いづみショーにて、急遽ショーの1時間延長を要請され、コントを書いて踊り子らと一緒に自ら出演。
これが初めて台本を書いた機会になったという。
同年に日劇に復帰、演劇部で舞台演出家と ……
塚田茂さんが亡くなってから、16年と208日が経ちました。(6052日)