内藤高治(ないとうたかはる)
剣道家[日本]
1929年 4月9日 死去脳出血享年68歳
内藤 高治(ないとう たかはる、文久2年10月25日(1862年12月16日) - 昭和4年(1929年)4月9日)は、日本の剣道家。
流派は北辰一刀流。
称号は大日本武徳会剣道範士。
武道専門学校教授。
高野佐三郎と共に剣道界に大きな影響力を持ち、「西の内藤、東の高野」と言われていた。
経歴=
生い立ち=
水戸藩士・市毛家の六男として水戸に生まれる。
父は水戸藩弓術師範・市毛高矩、母は北辰一刀流剣術師範・渡辺清左衛門の娘という武芸の家柄であった。
明治2年(1869年)から漢籍、水練、剣術を学ぶ。
12歳で北辰一刀流剣術師範小澤寅吉の東武館道場に入門し、門奈正と親交を持った。
明治14年(1881年)、叔父にあたる、水戸藩士・内藤儀左衛門政敏(禄高は750石、慶応3年〈1867年〉、水戸藩の藩内抗争により死去、妻は市毛高矩の妹)の養嗣子となり、内藤高治と名乗った。
上京修行=
明治16年(1883年)4月に上京し、下谷車坂の榊原鍵吉道場を中心に1年間修行する。
翌年から日本各地への回国修行を開始し、山籠もりするなど苦行を積んだ。
東京へ戻ると警視庁撃剣世話掛の川崎善三郎、高野佐三郎らに試合を挑み、連勝した。
明治21年(1888年)5月9日、自身も警視庁に一等巡査として任官し、下江秀太郎の斡旋で東武館の同門である門奈正と同じ警察署に配属された。
この頃、内藤を頼って上京してきた甥の市毛谷に大相撲力士になることを勧め、反対する親族を説得して入門させた。
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内藤高治が亡くなってから、95年と226日が経過しました。(34925日)