高田好胤 氏(たかだこういん)
僧侶・第127代薬師寺管主[日本]
1998年 6月22日 死去享年74歳
高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は、法相宗の僧。
薬師寺元管主。
法相宗管長。
分かりやすい法話により「話の面白いお坊さん」、「究極の語りのエンタテイナー」とも呼ばれ、そこから百万巻写経勧進の道を切り開いて金堂、西塔など薬師寺の伽藍の復興に道筋をつけるなど、薬師寺の再生に生涯をささげた。
生涯=
大阪市出身。
本名は高田好一。
裕福な家庭に生まれたが、11歳のとき証券会社勤務の父を肺結核で失い困窮した。
母方の実家は東大寺龍蔵院で、知人だった薬師寺の管主橋本凝胤が弟子として好胤を引き取った。
凝胤の教育は厳しかった。
幼少期、友人宅に呼ばれて遊びに行ったとき、レコードで浪曲の「清水港は鬼より怖い、大政・小政の声がする」というくだりを耳にして、薬師寺にはもっと怖い鬼(橋本凝胤)がいると思ったという。
夕食後の読経の練習のとき居眠りするとよく火箸でたたかれた。
しかし、一方で遠足、運動会のときに弁当を作ってくれるような愛情も持っていたという。
旧制奈良県立郡山中学校(現・奈良県立郡山高等学校)を経て龍谷大学(旧制)に進学し、1946年に龍谷大学仏教学科を卒業。
大学での一期先輩に融通念仏宗管長の倍巌良舜がいる。
また、深浦正文に師事して唯識思想を分かりやすく説明する手法を身につけた。
1949年、好胤は副住職に就任。
当時の薬師寺は、老朽化が進 ……
高田好胤さんが亡くなってから、26年と152日が経ちました。(9649日)