田村俊子(たむらとしこ)
作家[日本]
(別名義 : 佐藤露英・佐藤俊子)
1945年 4月16日 死去脳溢血享年62歳
田村 俊子 (たむら としこ、1884年(明治17年)4月25日 - 1945年(昭和20年)4月16日)は、日本の小説家。
別名、佐藤露英、佐藤俊子、本名、佐藤とし。
東京府東京市浅草区蔵前町(現在の東京都台東区蔵前)生れ。
東京府立第一高等女学校卒業、日本女子大学校国文科中退。
代表作は『木乃伊(みいら)の口紅』、『炮烙(ほうらく)の刑』など。
官能的な退廃美の世界を描き、人気を得た。
没後、田村俊子賞が創設された。
生涯=
田村俊子(左)、長谷川時雨(右)
左から、美川きよ、深尾須磨子、ささきふさ、田村俊子。
1937年頃撮影。
代々続く札差だったという米穀商の家に生まれる。
1893年(明治26年)4月、浅草小学校(現在の台東区立浅草小学校)に入学。
翌年2月、下谷区下谷金杉上町(現在の台東区下谷、竜泉、入谷辺り)に移住し、下谷区根岸尋常高等小学校(現在の台東区立根岸小学校)に編入学。
1895年(明治28年)、浅草区馬道(現在の台東区浅草、花川戸辺り)に転居し浅草小学校に再編入学。
1896年(明治29年)、東京女子高等師範学校附属高等女学校(現在のお茶の水女子大学附属中学校・附属高等学校)に入学するが、僅か1学期で退学。
東京府立第一高等女学校(現在の東京都立白鷗高等学校・附属中学校)に転学。
作家を志し、幸田露伴の門下に入る。
露伴を選んだ理由は、その作品からでなく、尾崎紅葉が「金色夜叉」の上演につききりでやかましく言っ ……
田村俊子が亡くなってから、79年と219日が経過しました。(29074日)