竹内浩三(たけうちこうぞう)
詩人[日本]
1945年 4月9日 死去戦死享年25歳
竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月12日 - 1945年(昭和20年)4月9日)は、日本の詩人。
三重県宇治山田市(現在の伊勢市)生まれ。
経歴=
宇治山田市吹上町(現・伊勢市吹上)に生まれた。
明倫小学校を卒業後、宇治山田中学校に進学、中学在学中より友人と回覧雑誌を製作。
小中学生時代はあまり勉強しなかったものの、上位3分の1には入る成績で、特に数学が得意であった。
よく人の物真似をして笑いをとっていた。
また漫画を愛し、夏目漱石の『坊つちやん』を漫画化したり、国産振興四日市大博覧会のポスターに応募して入選したりしていた。
1940年(昭和15年)日本大学専門部映画科に入学し、伊丹万作の知遇を得る。
1942年(昭和17年)6月、宇治山田中学校時代の友人中井利亮・野村一雄・土屋陽一と同人誌『伊勢文学』を創刊。
同年9月に日本大学を繰り上げで卒業し、入営。
久居(現・津市)で初年兵として1年の訓練の後、吉沼(現・茨城県つくば市)で落下傘兵として厳しい訓練を課される1945年4月9日、フィリピン・ルソン島バギオ北方にて戦死(厳密には生死不明)。
最終階級は上等兵。
墓所は伊勢市岩渕三丁目の一誉坊(いっちょぼ)墓地と朝熊山金剛證寺奥ノ院の供養墓の2か所あったが、2005年(平成17年)に一誉坊墓地から朝熊山へ集約された。
遺骨や遺品は戦地から一切戻ってこなかったため、一誉坊墓地には姉の手で浩三の学生帽が埋葬された。
竹内浩三が亡くなってから、79年と183日が経過しました。(29038日)